2014年1月1日水曜日

母の思い出

2010年6月に他界した母。早いもので3年6か月がたちました。

母は昭和3年生まれで、青春時期はまさに太平洋戦争と敗戦による戦後直後の時期だったわけです。

今のようなスポーツを行うことはなく、あえて言うと「薙刀」 をやっていたそうです。これは戦争がもたらしたことです。戦後20年がたったころママさんバレーに夢中になっていました。後にも先のもスポーツはそれだけです。

初めての仕事は日立の軍需工場で電波探知機を作ることでした。終戦間近は、軍需工場であることでアメリカの空爆を特に受け、多くの同僚が死んだそうです。兄は霞ヶ浦海軍航空隊で戦死しました。

平和ボケの現在、このような過去を想像することは困難なのですが、時々母の青春時代を考えることがあります。常に死と向かい合わせで日々の生活を送り、それでも前向きに生き抜いた母と当時の日本人達の「精神」は、私の想像をはるかに超えるものです。

私の母は、母の日の贈り物を特には欲しがっていませんでした。 元々母の日は欧米から来たもので、母の若いころは、母親を敬うのは日々当たり前のことで、母の日だけというのが商業主義的な発想で嫌いだったようです。

そういうことで、母の日のお祝いで、私が母に贈ったものは無く、その代り、時間があれが、肩と両足を揉んであげることでした。それと母には作れない、洋菓子を一緒に食べることでした。

人にはそれぞれ異なった状況があります。気持ちのこもっていない花を上げるなら、温泉にでも連て行ってあげたらどうでしょう。

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